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【タイ】支えられて17年。日本食の「竹亭」が歴史に幕!

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日本食ブームの続くタイでは、日本食レストランの出店ラッシュが後を絶たない。
民間の調査では、その数2000とも3000とも。
近ごろは日本からの出店を凌ぐかのようにタイ資本による新たな展開も始まっており、その動きは地方都市にも広がっている。
こうした中、バンコクのビジネス街で、老舗の人気店が惜しまれながらも17年の歴史に幕を閉じる出来事があった。
店主は「敗北」を素直に受け入れるとして、妻の出身地である中部プラチュワップキーリーカン県で再起を誓う。
その生き様を追った。


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2017年8月25日で閉店したのは、シーロム・ソイ10にあった日本食レストラン「竹亭」。
2000年6月、バックパッカーの聖地カオサンで生まれ、最盛期は2店を展開していた。
シーロム地区に出店してからはオフィス街のタイ人、西洋人、日本人らビジネスマン相手に、フュージョン系の創作寿司や肉料理などを提供。
メニューも大幅に増やし、日本からの出店モデルとして受け止められたこともあった。

店の売り上げが芳しくないと感じ始めたのは、2011年大洪水後の復興景気が止んだころからだった。
仕事帰りのビジネスマンの財布の紐が固くなり、家路へと急ぐ人が増えた。
前後して、以前はなかったお洒落な日本食レストランがシーロムでも目立つようになり、少なくなった顧客はこうした人気店に流れていった。
前国王崩御をきっかけとした景気の冷え込みも響いた。

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もちろん模様眺めを続けていたわけではない。
「売り上げが減っているのは、店が提供しているものとお客さんの求めているものに何らかのズレが生じているから」と、顧客ニーズを確かめるための視察を頻繁に重ねた。
他店の良いところは素直に取り入れ、それまでのこだわりも一切捨てた。
店に活気を持たせスタッフを明るく盛り上げようと、店主自らが声を出して接客にも努めた。
可能な限りの改革は進めたつもりだった。

この記事を書いた人(著者情報)

kobori

2011年11月、タイ・バンコクに意を決して単身渡った元新聞記者。東京新聞(中日新聞東京本社)、テレビ朝日で社会部に所属。警視庁記者クラブで2・4課担当を通算4年経験。銀行破綻などの各種金融事件、阪神大震災、オウム真理教事件などの取材にも当たった。事件記者出身だが、取材対象は政治・経済、社会、科学、文化までなんでも。日本の新聞、雑誌、タイのフリーペーパーやウェブサイトなどでも執筆中。著述、講演多数。

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