セブン・イレブン、セントラル・ワールド、エンポリアム、アジアン・ティーク、さらには栄養ドリンクのレッドブル…。タイを訪れたことのある人なら、誰もが一度はどこかで眼にし、触れてみたことがあるはず。そう、これらは全て傘下に複数の企業を連ねるコングロマリットである「タイの財閥」が展開する事業の数々だ。タイで仕事を始めようとする時、知らぬと損をするのが、タイの政財界に強い影響力を与えているこれら財閥企業。たまたまタイで知り合った地元の若者が、実は財閥のご子息ご令嬢だったというケースも少なくない。本稿では、そうしたタイの財閥をまずは概観しよう。
1年半ほど前のことである。バンコク都心部の超高級ホテルでは、早朝から厳戒な警備体制が敷かれ、VIPの来場に備えていた。間もなくして黒塗りの車が次々と車寄せに滑り込む。ドアマンが開いた後部座席から降りてきたのは、5月の軍事クーデターで全権を掌握した前陸軍司令官のプラユット暫定首相夫妻だった。
プラユット首相らが館内に姿を消した後も、車は次々と乗り付ける。クーデターでその地位を追われたインラック前首相、軍の支持をバックに選挙を経ないまま首相となったアシピット元首相、2006年クーデターのタクシン後に首相に就いたスラユット枢密顧問官、バーツ危機後に政権を担ったチュワン元首相ら、いずれも政界の重鎮ばかり。破竹の勢いで大手財閥入りを目指す百貨店経営ザ・モール・グループ副会長の姿もあった。
同ホテルのスイート会場ではこの日、タイ最大の財閥「CPグループ」率いるタニン・ジラワノン会長の末娘ティパーポンさんの結婚披露宴が執り行われていた。歴代首相のほか、王室関連、政治家、財界人、軍関係者まで出席者は総勢3000人を超えた。ティパーポンさんはCPグループの不動産部門マグノリア・クオリティー・ディベロップメント・コーポレーションの最高経営責任者(CEO)を務めるが、出席者の大半が「CPグループ」の慶事を祝う目的であることは誰の目にも明らかだった。
米経済誌フォーブスによると、ジラワノン家の2015年時点での総資産は199億米ドル(約2兆1500億円)。タイが昨年度、国家収入として得た2兆2100億バーツの約3分の1を占める計算となる。第2位の「セントラル・グループ」率いるジラティワット家のそれと合わせると国家予算の半分近くとなり、タイのトップ財閥が国内でいかに桁外れの存在であるかがよく分かる。
これら財閥のほとんどは、19世紀末から20世紀初頭にかけて海路、タイにたどり着いた中国人たちの末裔だ。1840年のアヘン戦争、1951年の太平天国の乱と混乱続きの中国で、戦禍を逃れ新天地を目指した人々だった。
だが、彼らが当初からタイ経済の中枢を握っていたわけではない。港湾労働やコメの買い付けなど肉体労働を通じてタイ社会で信頼を勝ち得たケースも少なくなかった。言葉が不慣れな1世は子供を学校に入れたり留学させたりと、世代を超えた努力が背景にあった。
最大の転機は第2次世界大戦最中に訪れた。「大タイ主義」を掲げるピブーンソンクラーム首相は中国からの移民に対し、氏名をタイ風に改めるなど「タイ人」として生きるよう同化を強く求めた。同時に、タイの主要産業であるコメ事業から中華系資本の締め出しを図った。
行き場を失った中華系資本のたどり着いた先が、銀行や保険といった金融市場だった。当時、タイ政府はコメ事業ばかりに目を向けており、金融には無関心で、次々と中華資本が銀行や保険会社を設立、市場を形成していった。余剰資金は遊休地の購入にも回り、これが後にセントラル・プラザなどの大規模商業施設の用地にもなった。
以降、タイの経済は中華系資本の独断場となった。わずかに王室系財閥のサイアム・セメント・グループや、インドから渡って来た石化財閥のインドラマ・ベンチャーズ・グループがあったが、数や全体の規模からして中華系のそれには及ばない。タイで財閥と言えば、多くが中華系を指すのは今では共通の理解にもなっている。
その中華系だが、当事者らは「一括り」にされることを極端に嫌った。広大な中国大陸にあって、広義の「中国人」は存在しないというのが彼らのアイデンティティーだった。言葉も違い、習慣も違った。何よりも、血の交わりさえも禁忌とした。
そうした中で、タイに渡った中国出身者の過半を占めたのが、広東省最東端・潮州と呼ばれる沿岸地域の出身者たちだった。CPグループ、TCCグループ、バンコック銀行グループ、サハ・グループなどがその代表格。今でも最大多数を形成している。
一方、これに対抗するのが数の上では劣勢ながらも「中国のユダヤ人」とされた中国内陸部出身の客家(はっか)だった。少数派でもあることが彼らの同胞意識を強固なものとした。独特な文化、そして言語。中国の孫文、鄧小平、シンガポール建国の父リー・クワンユー、フィリピンのコラソン家がそうだと挙げられると、俄に合点がいくかもしれない。
タイにおける客家出身者として有名なのが「Kバンク」として名の知れたカシコン銀行グループだ。グループを率いるラムサム家は外部登用を進めるが、今なお要職は一族が握る。そして、もう一つ挙げられるのが、通信巨大企業に上り詰めたシン・コーポレーション・グループ、そうクーデターで国外追放されたタクシン元首相とインラック前首相の一族企業だ。
潮州と客家、タイにはさらに中国最南端に位置する海南島の出身者グループも存在する。その共通とされるのが、はるばる海を渡って入植し、1代あるいは児孫の代で財を築き上げたという点だ。それだけに内向きには強い絆となって結束し、外部とは一定の距離を保ちながら平衡感覚を持って交流を重ねる。タイの中華系財閥が、例外なくそうであることを我々はもう少し知る必要がある。
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