ここで、ジャワ島の鉄道の歴史を簡単に紹介しておきたい。
当地で初めて誕生した鉄道は中部スラマンから南部に向けた約25キロの区間。
1867年、日本の新橋~横浜間が開業する5年も前のことだった。
73年には南部の旧都ジョグジャカルタまで延伸、ジャワ島の縦貫鉄道が完成した。
次いで、西部のジャカルタ(バタヴィア)からボゴール、東部のスラバヤまでが相次いで開通し、1900年ごろまでには全長3000km超の鉄道網が島を覆い尽くすまでとなった。
鉄道の敷設は、大半が植民地経営を目指すオランダ東インド会社の事業だった。
西隣のスマトラ島でも鉄道建設が進められ、油田や石炭の鉱山を結ぶルートが完成した。
第2次大戦中に日本軍がパレンバン油田確保のため手中に収めたのがこの鉄道だった。
ジャワ島の北東スラウェシ島(セレベス島)でも敷設が進められたが一時的に過ぎず、ジャワ、スマトラ両島でのみ実質的に存在した。
運賃の安価なインドネシアの鉄道は長らく庶民の足として活躍してきた。
だが、高速道路網の整備などから21世紀以降、その地位は自動車や高速バスに大きく取って代わられている。
ターミナル駅が存在しないことから運行ダイヤも複雑で、列車の遅延にもつながっている。
それでも渋滞の激しいインドネシアにとって鉄道に寄せる期待は大きい。
ジャカルタでは現在地下鉄2路線が建設中で、2020年代の全通を目指している。
ジャカルタとスラバヤを結ぶ高速鉄道構想もあり、日本との競争を制した中国企業が落札したが、完成の目途は立っていない。
牧歌的なインドネシアの鉄道。
主要都市から世界遺産ボロブドゥール遺跡へのアクセスも可能だ。
かつての日本とどこか似た、のんびりとした車窓を楽しんでみてはいかがだろうか。
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