今年4月に公布・施行された新しい2017年タイ王国憲法は、向こう5年間を「経過期間」として軍の関与を残している。
「不適格」と軍が判断すれば、首相の首をすげ替えることが可能な規定だ。
首相には非議員の就任も可能となり、さらなる予防措置としてタクシン派政権を相次いで倒した憲法裁判所や独立機関も温存された。
一方で、民選議員を選ぶ総選挙も憲法関連法の整備を待たねばならず、その実施は早くても来年末。
前国王の葬儀もあり、19年にずれ込む見方も強まっている。
そうなれば、14年のクーデター以降、10年間を軍が一貫して支配する結果となる。
近ごろ見なかった光景だ。
ビジネスや生活の現場でも軍の「支配」をよく感じるようになった。
事あるたびにまかり通っていたアンダーマネーは通じにくくなった。
許認可取得、出店規制も厳格化された。
脱税を逃さないためであろう、会計書類の要件等も煩雑となった。
交通違反のもみ消しもできなくなり、街の屋台も消えた。
現場を預かる官僚が「忖度」した結果と見られている。
そのような中で、未だ消えないのが無理解に端を発するタイについての認識だ。
「ここはタイですから」
「いつものように、そのうちに緩くなる」
「アメージング・タイランド」…。
何の根拠もない楽観が、この国の「魅力」を今なお引き立てている。
軍の「支配」が景気を後退させるとは限らない。
社会の「浄化」が進む一面もあるかもしれない。
それでも消えない懸念がある。
考えないこと。
思考停止が最も恐ろしい。
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