ただ、傘下企業を含む株式公開には積極的で、グループの司令塔であり持株会社でもあるサハパタナー・インターホールディング社も77年に上場させている。
こうして市場で調達した資金は安定的な経営の原資とされ、97年の通貨危機でも銀行の介入を最低限度に抑えることができた。
一族の持ち株比率も相対的に低く、銀行や外資が上位に名を連ねている。
80年代になると新たに工業団地事業も本格稼働させた。
バンコク東部チョンブリ県にシーラチャー工業団地を展開。
グループ企業の製造拠点としたほか日本や韓国などから外国資本も招き、タイにおける工業団地事業の先駆的なモデルケースとした。
同様の事業は中部アユタヤなどでも進められ、開発した工業団地では海外資本と合弁で高付加価値ハイテク部品なども製造、輸出事業にも力を入れている。
21世紀以降今日にかけて、サハ・グループの喫緊の課題とされているのが、国内小売市場における影響力の再構築だ。
言うならば、製造業からの脱皮。
グループそのものは大衆消費財を供給するメーカーに過ぎず、小売店に納めることで事業を完結してきた。
ところが、外資の導入が進み市場が開放された結果、タイの消費市場でも末端の小売業者らの発言力が強まる事態に。
度重なる値下げ要請、販売奨励費の要求など産業構造が一大転換した結果、サハに対しても大きな舵取りの変化が求められるようになった。
こうして誕生した一つに、日本のコンビニ大手ローソンとの提携があった。
それまでサハはタイ国内で独自ブランドのコンビニ「108」を展開していたが、そのほとんどをローソンに譲り、「ローソン108」として再スタートさせたのだった。
首位のセブンイレブン、2位のファミリーマートの背中はまだ見えないが、首都圏を拠点に猛追をかける計画でいる。
北海道のドラッグストアチェーン「ツルハ・グループ」とも事業提携を行っている。
サハ・グループは現在、創業者ティアムの後を継いだ三男のブンヤシット氏を会長に、300社以上の企業が一つの傘の下で結束を強める。
日本での就労経験もあり日本語も堪能な会長だが、その強力なカリスマ性ゆえ、その後についてははっきりとは見えていない。
集団指導体制に移行するとの見方もっぱらである。
(写真は一部同社の資料から)
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