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【TOP INTERVIEW】麺屋ひろまる 河合洋昇氏

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競歩選手との二足のわらじでラーメン職人に

ー 雑穀粉を配合した栄養価の高い麺と、豚の頭骨をじっくり煮込んだ甘みのあるスープが絶妙に調和したラーメンを提供する「麺屋ひろまる」。オーナーの河合氏が飲食業界に入ったきっかけとは?
中学生の時に陸上競技の一種目である「競歩」に出合い、現在も競技選手として活動を続けています。大学ではもちろん、就職してからも競歩の選手として活動する傍ら、に職を付けるべく、学生時代より好きだったラーメン店を含む3店舗で約1年ほどラーメン修業をしました。今思えば、両親が富山県で食堂(実家)を営んでいたため、生まれた時から飲食業が身近なことも飲食店でアルバイトを始めた背景にあると思います。

ー 競歩選手とラーメン修業の両立は大変だったのでは?
そうですね。自分が納得できるラーメンを作れるようになったら、両親の食堂をラーメン店に業態変更して自分の店を持ちたいと思っていたので努力し続けられました。2005年に両親の店を業態変更する際にはラーメンに集中するために競技から一旦離れたのですが、地元の学校から学生に講師として教えてほしいというオファーをいただき、再び競歩の世界に戻りました。再び、ラーメン店と競歩選手の二足のわらじを履くことに。出店して8年が経過したある日、海外出店の契機が訪れました。

ー どのような契機か、具体的に教えてください。
とある会食で出会った旅行会社経営者の方に「アメリカで一緒にラーメン店の経営に挑戦しないか」と誘われたのです。学生時代から競歩の試合などで海外遠征に行っており、進出意欲はあったため、一旦国内の店舗をクローズし渡米しました。

アメリカで受け入れられるラーメンを試行錯誤

ー 店舗を手放してまで、海外での挑戦を決断されたのですね!
英語ができなかったため、スタッフへの味の共有が難しいことは分かっていたのですが、挑戦しました。当店の味を海外で再現できるのは私しかいないので、本腰を入れて取り組みました。初めて海外でラーメンを作るということで、味の面、文化の違いなどに悪戦苦闘しつつ、2013年にラスベガスに店舗をオープン。アメリカのラーメンイベントに出店して優勝するなど、実績を積み重ねていきました。

ー 優勝するなんて、かなり現地での支持は高そうです。
味をローカライズしたことで優勝できたので、日本と同じレシピではローカルに受け入れられないことを痛感した出来事でしたね。また、アメリカでは日本で受け入れられるラーメンとは真逆とも言える、「スープがぬるい」「麺が柔らかい」「塩味が薄い」という三拍子がそろうと受け入れられると気付きました。スープが熱すぎるとクレームとなり、訴訟にもなりかねないので、気を付けていました。

ー さすが訴訟大国のアメリカですね。アメリカでのビジネスは順調でしたか?
アメリカの店は立地条件があまり良くなく、1年ほどで閉店しました。その後は、香港でビジネスをしているインド人投資家から話をいただき、香港出店を計画。投資家と話を進め、契約書を交わし合意したのですが、結局進出は実現はせず……。とある求人サイトでドバイでのラーメン店立ち上げの人材募集を見つけ、コンサルタントとして携わりたいと連絡しました。日本に10年以上在住しており、飲食経験もあるインド人投資家だったので日本語で交渉が進み、2016年9月にドバイに渡りました。

originalたこ焼き
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rin

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