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【TOP INTERVIEW】居酒屋 正 市川 順一朗氏

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映画監督になりたかった幼少期から飲食業を目指すまで

 内陸国のラオスながらカツオのたたきといった新鮮な魚介の他、炭火で焼いた香ばしい焼鳥などを提供するなど、本格的な和食を楽しめる「居酒屋 正」。オーナーの市川氏のご経歴歴を教えてください。
父親が料理人で、両親は地元山梨県で和食店を営んでいたため、幼少期より飲食業界は身近でした。しかし、私自身は小学生の時に観た『STAR WARS』に感動して、映画監督になりたいという夢を抱いていました。将来は海外で映画の修業をしたいと思い、高校1年生の夏休みにはアメリカに短期留学をしました。高校を卒業して海外に留学をするか、大学に行くか悩んでいたのですが、父の勧めもあり、東京にある調理師学校に入学することになりました。父は、家業を継いでほしいという想いがあったのではないかと思います。

ー 飲食業界に興味はあったのですか?
正直、あまり興味ありませんでした。専門学校卒業後は海外への憧れを捨てることができず、バックパッカーで3ヶ月かけてアメリカを横断しました。シアトルで出会った日本人飲食店オーナーに「料理人を目指したら世界で戦える!」と言われたことをきっかけに、自ら飲食の道へ目を向けるようになりました。

ー ついに飲食業界に自ら足を踏み入れられたのですね!
そうですね。日本で修業しようと帰国し、六本木(東京都港区)にある大衆割烹料理店に就職しました。場所柄、日本人だけでなく外国人のお客様も多かったため、得意の英語を活かすことができ、楽しく働いていました。5年ほど勤務していたある日、ニュージーランド人の飲食関係者から、知人がニュージーランドで日本人料理人を探している、と誘われました。

海外で飲食業界との関わりを持つ

ー 再び海外とのご縁があったのですね。ニュージーランドへは行かれたのですか?
はい、日本で5年修業して、そろそろ新天地で挑戦したいと考えていたのでニュージーランドに渡ることにしました。当時のニュージーランドでは日本食ブームが始まっており、すし店が続々と増えていました。料理人として、最大都市のオークランドで3年、南島の北東部に位置し自然が多いネルソンで4年、計7年を過ごしました。ビザの関係もあり、ネルソン滞在後は1年間オーストラリアで飲食店の立ち上げに携わり、再びニュージーランドに戻りました。しかし、一身上の都合で一旦日本に帰国することに。

ー 帰国後は日本で就職されたのでしょうか?
半年ほど実家の店を手伝った後、渡米することにしました。アメリカでラーメンブームが沸騰している時期で、ロサンゼルスにオープンする日系ラーメン店や居酒屋の立ち上げをしました。店舗での営業、オペレーションの確立などを5年ほど行い、次はラオスに行きました。

焼鳥盛り合わせ

ー どうしてラオスを選ばれたのですか?
とある日系企業がラオス進出を検討しているため、市場調査をして欲しいと頼まれたのです。結局輸出入の関係などから進出の話は白紙になったのですが、私は初めての東南アジアに魅了されました。前述の通りアメリカで飲食店の立ち上げを行っていたのですが、出店する対象としてラオスも検討国となりました。アメリカより、コスト、許認可の審査、人材など全てにおいて、進出障壁が低い上に、日本食はまだブルーオーシャンなのではないかと感じたからです。また、ラオス政府が外国人観光客の誘致を目的に、2018年に「ビジット・ラオス・イヤー」と題してさまざまなイベントを行ってからは治安も徐々に良くなっていきました。

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