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【TOP INTERVIEW】金子真也氏

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株式会社うまプロ 金子真也

生年月日
プロフィール 1978年生まれ、東京都文京区出身。祖父・父ともに料理人の家庭で育つ。28歳のときに仕出し弁当屋として独立。江戸前天丼を提供する「金子半之助」の創業者として知られる。ラーメン店「つじ田」と合併し設立した「株式会社おいしいプロモーション(現在は、オイシーズ株式会社に社名変更)」を売却。現在は同社のアドバイザーを務める傍ら、「株式会社うまプロ」を設立し共同代表に就任。
主な店舗名 金子半之助
HP https://www.umaprokitchen.com/

祖父「金子半之助」の想いを受け継ぐ

ー 高温のごま油でさっくり揚げた天ぷらに、秘伝のたれをかけた天丼が絶妙で、行列の絶えない天丼専門店「金子半之助」。創業者として知られる金子真也氏は、現在、台湾茶とタピオカ専門店「UMACHA」やメンチカツ専門店「GOLD MENCHI」などを運営する株式会社うまプロの代表をされています。金子社長が飲食業界に入られたきっかけとは?
祖父が日本の文化の天ぷらと日本料理の伝承などを行っている日本調理師一心会の2代目会長を務めた和食職人、父が和食店を経営という家庭環境から、子どもの頃から私も外食の道に進むことを決めていました。大手居酒屋グループで7年修業した後、高級和食店に転職し、マネージャーとして立ち上げに携わりました。しかし、地上げがあり閉店することに。これを機に、独立の道を具体的に検討し始めたところ、父が営んでいた実家の和食店を畳もうとしていたので、そちらで28歳の時に仕出し弁当屋をオープンしました。

ー どうして仕出し弁当屋を始められたのですか?
前職の高級和食店のお客様に製薬会社の方が多かったのですが、「仕事柄医療関係の方を対象としたセミナーや学会を開催することが多いけれど、ランチのお弁当をどうするかよく悩む」とおっしゃっていた言葉がずっと頭の片隅にあったためです。当時いただいた名刺に1件1件電話をかけ、弁当屋を始めたと伝えたところ、次々とご注文をいただくことができました。その頃、同級生の辻田(※)は、自身が経営するつけ麺店でアメリカ進出を果たし、メディア露出も増えていました。同じ料理人として成功している姿を見て、自分も一品で勝負できる業態を新しく作りたいと考えるようになりました。

※世界に展開する濃厚豚骨魚介つけ麺「つじ田」の創業者、辻田雄大氏。金子氏とは、幼少期からの幼なじみであり、現在はパートナーとして二人三脚でビジネスを行っている。

ー どのような業態を構想されたのでしょうか?
弁当ではなく、「油ビジネス」で勝負しようと考えました。個人的に、行列をなしている店舗は「油×小麦」を使った料理を提供していると思っていて、どのような料理があるか考えた際に天丼にたどり着きました。また、天丼業態の開発を決めた背景には、祖父が残した書物の影響もありました。その書物には「庶民の食べ物だった天丼がどんどん高級なものになっているが、みんなは再び気軽に食べることを待ち望んでいる」という「天丼復活論」が書いてありました。祖父の想いを継承しようと、代々金子家に伝わる閻魔帳(レシピ本)に記されていた、秘伝の江戸前の丼たれを使用した天丼を提供する「金子半之助」をオープンしました。

「日本橋 天ぷらめし 金子半之助 日本橋店」



アメリカを皮切りに台湾、香港など次々に海外進出を果たす

ー オープンしてからはいかがでしたか?
豪快に盛り付けた「江戸前天丼」を目当てに、全国各地から多くのお客様に来店していただきました。海外の有名サイトやガイドブックに掲載された影響で、外国人観光客も増加。3店舗まで拡大し、全店舗連日行列の大盛況で、世界最大の某口コミサイトでも評価をいただけるようになりました。出店当時はリスクを分散でき、1人でも管理ができる3店舗のオーナーを目標としていたのですが、あるスタッフがアメリカで挑戦したいと声を上げました。タイミング良く、知人からアメリカでの視察の話をもらったので、渡米しました。

ー 初めてのアメリカ視察はいかがでしたか?
アメリカ最大の日系大型スーパーのイベントに行ったのですが、現地で情報を集めたところ、天丼で十分戦える確証を得ました。進出したいと言っていたスタッフに片道切符を渡し、アメリカに出店。予想通り瞬く間に人気店となり、ロサンゼルス、シカゴ、ニュージャージー州、ハワイなど複数都市に順調に広まると、台湾のお客様からも出店オファーをいただきました。台湾についての知識がなかったので、現地にマーケティング調査に向かいました。

ー 台湾のマーケティングの手応えはいかがでしたか?
親日家が多いこと、外食文化が根付いていることなどから、台湾で受け入れられるのではないかと感じましたね。不思議なことに、以降、毎月台湾の方から出店の声を掛けていただくように。その中から人間性に引かれ、一緒に店舗展開するビジョンが見えた方と組み、台湾に進出しました。多くのお客様にご来店いただき、中国、香港などの出店にもつながりました。

ー 海外でも順調に店舗を拡大されたのですね。
次々と店舗を拡大していく中で、限界を感じるようになってきました。私は経営のプロというよりも、現場に近い「飲食経営」の専門家でいたいと思っています。出店件数が増えれば、当然ですが細部まで自分の目の届かない店舗が増加します。解決できない問題も発生してくるのではないかと思うようになりました。
そんな時に、M&Aで「会社を売る」ことができると知り、興味を覚えました。海外進出の加速という追い風が吹いているとはいえ、金子半之助の業態のみでは売却額に限界があります。祖父の想いを継承した店舗なので、もっと大きいものを目指したいと思案していたところ、辻田も「つじ田」の売却を検討していたため、両店の経営権を持つ株式会社おいしいプロモーション(現在は、オイシーズ株式会社に社名変更)を共同で設立し、売却することにしました。

看板メニュー「江戸前天丼」
この記事を書いた人(著者情報)

rin

教えてASEAN編集部として日々経営者の方にインタビューさせていただいております!

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