ー 自家製粉を使用した麺と、化学調味料不使用のトリュフ香る醤油ラーメンが自慢の「Japanese Soba Noodles 蔦」。大西社長が飲食業界に足を踏み入れたきっかけとは?
高校卒業後、7年ほど父が経営するラーメン店で手伝いをしたことがきっかけです。その後、アパレル業界に転職し、約5年間飲食業界から離れていましたが、アパレル会社で海外事業部に配属され海外出張が増えたことで、改めて日本食について考えるようになりました。
ー 海外出張で日本食について考えるようになるとは?
欧米への出張が多かったのですが、パスタやハンバーガーなどソースで食べる料理が多く、「ダシ」がきいた食べ物にあまり出合えませんでした。そこで、「ダシ」のきいたラーメンは日本の食文化を世界に発信でき、海外の人を惹きつける食べ物なのではないかと考えはじめたのです。ラーメンが頭に浮かんだのは、以前父のラーメン店で働いた背景があったからだと思います。そこから3年間、再び父の店で修業の末、2012年に巣鴨(東京都豊島区)にわずか9席の「Japanese Soba Noodles 蔦」をオープンしました。
ー 独立当初はいかがでしたか?
オープン当初からたくさんのお客様にご来店いただけたわけではなく、うまくいかないときもありました。しかし、日々ラーメンの研究と味の改良を続け、2014年にトリュフが香る醤油ラーメンにたどり着きました。このラーメンが話題を呼び、徐々に店頭に列ができるように。来店したお客様がSNSに投稿したことで、当店を知った海外の観光客などからも高く評価されるようになりました。
ー SNSを通じて、海外とのつながりまでできたのですね!
そうなんです。「ダシ文化を世界の人に食べてもらいたい」という夢に近付いた気がしました。その後、2015年に『ミシュランガイド東京』に新設されたラーメン部門でビブグルマンを獲得、翌年には世界で初めて、ラーメン部門で1つ星を獲得しました。
ー すごい!世界初の快挙ですね!当時はどのような心境でしたか?
「ミシュランで星を獲得する」ことを目標にしたことは一度もありません。あくまで「『ダシ』を海外に普及できる美味しいラーメン」を研究した末に誕生したのです。星獲得後は、以前にも増して大行列ができ、整理券を配布するようになりましたが、近隣からクレームがくるように。カウンターのみ9席という小箱で、なおかつ回転率が悪かったため、移転を考え始めました。
ー 移転先はすぐ見つかったのでしょうか?
食材管理のために、天候に左右されず湿度を一定に保つことができる地下の物件を探していました。
せっかくなら都心周辺で挑戦しようと、現在の代々木上原の物件で新たにオープンしました。
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