ティエン氏の長男サムリットが発案したのが、タイで初めてとなる「定価」販売だった。定価から値引くことで割安感や値頃感を出し、消費者の購買意欲を掘り起こした。海外市場を視察し、外資ブランドとライセンス契約を締結。早くからタイ国内での内製化にも取り組んだ。「良い品はセントラル」という概念が広く浸透するきっかけとなった。また、将来を見越して、まだ外資規制の緩かった商業地を先行取得。後の出店攻勢の礎を築いた。
グループ転機は82年に20億バーツを投じて建設したセントラル・プラザ1号店「ラープラオ店」だった。このころ百貨店は、まだ都心部に建てるというのが業界の〝常識〟だった。これに対し、将来の車社会を見越して、ショッピングセンターからエンタメ施設、飲食街、ホテル、国際会議場、オフィスフロアなどを兼ね備えた郊外型の施設を完成させたのがグループだった。計画は大成功を収め、以後、同グループは都心部の商業地と郊外型に住み分けを図りながら出店攻勢をかけていくことになる。
創業者のティエン氏が68年に死去後、跡を継いだのが、26人いた子供たちのうちのサムリット氏(長兄)、ワンチャイ氏(次兄)、スティタム氏(異母弟)といった第2世代にあたる息子たちだった。現在のCEOトット氏ら現経営陣はさらにその1世代下、第3世代に位置する。トットCEOら現経営陣たちは父親たちが進めた事業を引き継ぎ・見直しながら、新たなグループの構築を進めようとしている。(写真はグループの資料から)
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