ー 1969年の創業以来焼きにこだわり、パリッとジューシーな餃子をメインに、次々と期間限定メニューを打ち出し話題を集める中華料理店「大阪王将」。現在は国内外に店舗を展開をするだけでなく、冷凍食品事業も手掛けています。文野会長が飲食業界に足を踏み入れたきっかけとは?
父が創業した大阪王将を小学生の頃から手伝っていました。16歳の時には高校に在学しながら、店長として現場を取り仕切っていました。
そこが私の飲食人生のスタートです。
ー 高校生ながら店長に就任されていたとは!
次々と新規出店をしている最中でもあったので、頻繁に店舗で手伝いをしており、仕事のスピードや完成度などが認められたのだと思います。仕事をしていく中で、メニューが限られる餃子専門店では、市場規模が小さいため、知名度や店舗数に限界があるのではないかと考えるように。21歳の時に進学していた大学を中退し、独立しました。
ー 1度大阪王将を離れられたのですか!?
そうなんです。当時愛知県にいたので、県内で餃子だけでなくチャーハンやラーメンなどのメニューを提供する独自の中華料理チェーンを立ち上げ、4年ほどで10店舗と順調に展開していきました。
ー 順調だったのに大阪王将に戻られた理由とは?
父から関西に呼び戻されたのです。数年で店舗数を拡大した実績を買われ、1985年、25歳の時に2代目社長に就任しました
ー わずか25歳とはいえ、実績を携えての2代目就任です。経営者として戻った「大阪王将」はいかがでしたか?
私が会社を引き継いだ当時は、創業から15年近くが経過していましたが、「餃子専門店」というビジネスモデルのままでした。その事実に会社の存続という観点から危機感を覚えました。外食産業は「水物」と言われるように、流行など時代の流れに逆らえないと考えています。専門店では将来的に先細りとなり、営業を維持することが困難になるのではないかと考えたのです。
そこで、株式会社モスフードサービスが展開する「モスバーガー」にフランチャイズ(以下、FC)加盟することにしました。当時、弊社は大阪王将ブランドのフランチャイザーの本部でもあったため、他企業のフランチャイジーになることには、さまざまな意見もありましたが……。
ー どのような意図でモスバーガーにFC加盟されたのですか?
加盟することで売上が上がるというのはもちろんのこと、FC事業の経営ノウハウについて学び、大阪王将ブランドに還元できると考えていました。FC組織の戦略、成功の要因など、手に入れた経営ノウハウからヒントを得て、新ブランドに挑戦することにしました。店内にジャズが流れ、おしゃれにラーメンを楽しむ、という他にはない独自のコンセプトを打ち出したラーメン店「よってこや」です。最新スタイルが評判を呼び、たくさんのお客様に愛していただけるようになりました。
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