2014年5月の軍事クーデターで停止された2007年憲法は、その第23条2項で「王位が空位になり、国王が王室典範に定める王位継承者を指名していない場合は、枢密院は内閣に対し、王位継承者名を提出し、内閣は承認を得る為に国会に提出する。この場合、王女の名を提出することもできる」と定める。
この条文を論理解釈した帰結が、同王女への王位継承権授与であった。タイではタノーム・プラパートによる独裁政権を倒した後に制定された1974年憲法以降、歴代の憲法に同様の規定が置かれ、これが下位法である王室典範の効果を打ち消してきた。国連で女子差別撤廃条約が採択されたのは、その5年後の79年のことだった。
75年の早期に、プミポン国王からシリントーン王女へ王位継承権が授与された真の理由や経緯は分からない。国王に何らかの思慮があったと見るべきだが、その内容が将来にわたって明らかとなる可能性も極めて低いと見られている。歴代憲法との齟齬が生じている王室典範の改正の発議も憲法上、国王の専権事項とされており、王位継承権者が2人も現存する状況では当面は考えにくい。
ただ、国王の健康状態をよそに、巷間、繰り返される時の政治混乱とを関連付けた根拠のない与太話には憂いを抱かずにはいられない。タイに関心を持つ(あるいは世話になる)我々に求められることは、確かな事実に基づいた合理的な判断とタイの社会への理解である。来るべき新憲法に王位継承規定がどのように書き込まれるのかを見守ること。それが許されたせめてもの配慮なのではないか。
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