お洒落なお店やマンションなどが次々と建設されていくホーチミン。
もしかしたら、よく行くカフェやレストラン、普段生活をしているオフィスや家は日本人によるデザインのものかも知れません。
今回はホーチミン「Inrestudio」にて建築家をされている西島さんにお話を伺いました。
記者:ベトナム進出までの簡単な経歴を教えてください。
西島氏:大学院を卒業し、東京で働き始めたその週に東北の地震が起こりました。
震災後の荒野に仮設住宅が続々と建設されていく中で、それまで自分が目標としてきた建築ってなんだったのだろうという疑問が生まれました。
建物の需要が極大化するという震災後の特殊な状況にいると、相対的に自分の設計能力の小ささが際立ちます。
そこで建築を別の角度から捉え直したいという思いが強まりました。
建築のレベルが第一線ではない文化圏で働いてこそ、実践の中から何か得られるのではないかと考えた末、思い切って勤務先を退職しました。
職探しを始めたタイミングで、大学時代の先輩に会う機会がありまして、そうしたら、その先輩が数カ月後にベトナムの建築事務所に転職すると聞きました。
またその事務所では、もう数人の日本人を探しているということも聞きました。
ホームページを見たら、なにか見たことないことにチャレンジしているような事務所だったので、渡りに船の思いで渡越を決めました。
記者:ベトナム進出のきっかけは何ですか?
西島氏:今ほとんど話してしまいましたが、ベトナムだからというよりは、話を頂いた事務所が面白そうなことをやっていたからということが大きいです。
建築先進国ではない国でというのが条件だったので、ベトナムという立地はあとからついてきました。
ただ今振り返ると、ベトナムを選んで良かったことが二点あります。
一つ目は、入社した事務所の成長とベトナム建築界の黎明期が複雑に交差する状況下に飛び込むことができたこと。
私がベトナムに来た当時は、建築という職業が社会にそこまで認知されていなかったと思います。
私が勤めた事務所が国際的な名声を徐々に獲得する中で、それに牽引されるように建築文化が社会に根づいていく実感を得られたのは、発展途上国ならではの貴重な体験だったと思います。
二つ目は、ベトナム特有の建設事情だと思っているのですが、住宅の需要が他の東南アジア諸都市に比べて大きいことです。
シンガポールや香港、バンコクや台北などはコンドミニアム文化と言っても良いと思いますが、新築住宅設計の案件数が非常に少ないと聞きます。
住宅は新米建築家にとっては比較的手がけやすい仕事なので、そこが封じられると若手は厳しいんですね。
ベトナムはいま、数多くの若手建築事務所を輩出している国の一つですが、背後にはコンドミニアム文化に移行する前の、住宅案件が豊富な「開かれた環境」というのが作用しているように思います。
記者:ベトナム進出前に準備したことは何ですか?
西島氏:「進出」というよりも、私の場合「漂着」に近いので、特別なことはなにもしていないと思いますが、学生時代に交換留学で海外に1年住んでいたこと、大学院時代は周囲の学生の約半数が海外からの留学生であったこと、日本の事務所に勤務した際に担当物件が海外案件であったこと。
この3つがバックグラウンドとなって、海外で働くことに抵抗がなかったとは言えます。
記者:ご自身でデザイン事務所を始めようと思ったきっかけは何ですか?
西島氏:すこし遡りますが、ベトナムに来る際に例の先輩と誓ったことは「ベトナムの建築界に一石を投じてやる」でした。
大志をもってベトナムに渡ったのに、というか、だからこそ、かもしれませんが、ベトナムに着いて一週間も経たない内に、今度は一種の虚無感を覚えます。
会社の車で郊外に行き、車窓からロードサイドのバラック的な町並みを見た瞬間に、「建築以前にやることが果てしなくある」と思ってしまったんですね。
丁度、日本で震災後に感じたものと似た思いだったと思います。この「建築以前」的状況に果敢に挑んでいたのが、前の会社のボスでした。
彼はベトナム建築の今日的状況の先駆者といってよいと思いますが、そんな建築家の元で4年働きました。
その間、さまざまなタイプのプロジェクトに関わらせてもらいましたし、後半の約2年間はホーチミン事務所の責任者の一人として、事務所全体のプロジェクトのマネージメントにも加わりました。
必死に働いている内に、ベトナムでの建築の可能性も少しずつ見えて来ていたと思います。
4年間働いた時点で退職を決め、次のステージを考えようとしていた矢先に、ホーチミン市内での仕事の依頼があり、それならば仕事が途切れるまでは初志を貫こうという思いで独立するにいたりました。
記者:どの様なお客様がいらっしゃいますか?
西島氏:独立して最初の1年は日本人のクライアントでレストランとカフェの内装案件でした。
ホーチミンに住む日本人だと、新築で建物を建てたいという方はなかなかいませんから、このままでは建築ができないと思っていたところ、2年目からはベトナム人のクライアントが来るようになりました。
出だしがコマーシャル案件(レストランとカフェ)だったので、現在もそちらに関するクライアントが多めです。
記者:ベトナムで苦労したこと、大変なことは何ですか?
西島氏:価値観の違いには度々苦労をしますが、本当に大変なのは、価値観の違いに気が付かないまま物事が進んでしまうときです。
建築というのは、住まい方だったり、美しさや快適さだったり、社会への関わり方だったりといったことに関する新たな価値観を示す仕事なので、スタッフとの間に価値観の衝突があると、設計がうまくまとまらなくなったり、自分たちの設計した物の説得力が弱まったりすることになります。
例えば、私は「あらゆる犠牲を払ってでも良いものをつくるのがプロ」と思っていて、一方スタッフは「定時にしっかり仕事を終わらせるのがプロ」と思っているとします。
一見明らかな違いのようですが、実際には本当の問題に気がつくまでに時間がかかる場合があります。
第一に、管理者である私の言に対して多少不満があったとしても、スタッフはある程度は従おうとします。
第二に、我慢の限界を超えたところでスタッフが不満を表現し始めるわけですが、それを私自身の価値観をもって判断してしまうことが多々あるわけです。
つまり「彼らはプロ意識に欠けているから不満を漏らすのだ」と。
この時点で、価値観の「多様性」だったものが、単なる「衝突」に置き換わってしまっていて、さらに言えるのは、自分たちがそれを作り出しているということです。
このような事態は、スタッフとの対話を丁寧に行えば回避できる場合があります。
しかしそれ以外に、簡単に解決できない事態というのもあります。
それは、ベトナム人が世界の優れた建築物を経験的に感じる機会に、金銭的にも制度的にも、まだまだ恵まれていないことです。設計というのは、多様な選択肢の中から、その都度判断を下して選びとった方向性の集積によって形作られていくものですので、スタッフにはなるべく多くの経験をして、日々の判断を行う際の選択肢の幅を広げてほしいと思っています。
私たちは裕福な設計事務所ではありませんので、金銭の援助は難しいですが、時間の援助ならできます。
きちんと研究レポートを作成するという条件付きで、建築や文化を経験する目的に限り、通常の会社の倍の休暇をとれる仕組みにしています。
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