ー コラーゲンを残して脂質を抑えたさっぱりな鶏出汁スープに、独自にブレンドした全粒粉の麺を使用した「白鶏麺」が人気を博している「鷹流」。鷹峰社長が飲食業界に入ったきっかけとは?
前職を辞めた32歳から、弟が営んでいた中華料理店の手伝いをするようになりました。もともと料理が好きだったこともあり、次第に独立を考えるように。しかし、2008年に起きた冷凍餃子に毒が入っていたという事件により、日本全国の中華料理店が大打撃。中華料理店への客足が遠のいたことを受け、ラーメン店で独立することを決めました。
ー なぜラーメンを選ばれたのですか?
もともと料理が好きだったので自分でもいろいろ作っていました。また、日本のあちらこちらにラーメン激戦区があるほど、日本人はラーメンが好きですよね。これらの理由から、ラーメン店であれば独立しても成功できるのではないかと考えました。ラーメン店で出店しようと決めた時に、以前「高田馬場(東京都新宿区)は、ラーメン店の密集率が高い」という話を聞いたことを思い出しました。「どうせなら競争率が高いところで挑戦してみたい」と一念発起して、高田馬場にラーメン店をオープンしました。
ー 高田馬場にオープンされていかがでしたか?
まったくダメでした。ラーメン業界をまったく知らなかったことと、当時流行していた濃厚魚介系ラーメンとは異なるあっさりラーメンを提供していたこと、それから私の経営者としての場所選びと技術不足が原因かと思います。「インパクトや印象に残るラーメン」「並んでも食べたくなるラーメン」を作らなければ、売上は継続しないという現実を突きつけられました。
ー 厳しい現実の中、うまく改善することはできたのでしょうか?
模索を繰り返す日々でしたが、オープンから2年が経過した頃、某グルメサイトで人気ランキング1位になったのです。あっさりとしたラーメンが、少しずつ受け入れられるようになってきたと感じました。しかしちょうどその頃に東日本大震災が発生。製麺業者が岩手県だったため、麺を仕入れることが困難になり、売上が3~4割ほどダウンしました。しまいには麺の仕入れがストップ。「ラーメンをお客様に提供し続けるにはこれしかない!」と自家製麺の製造をスタートしました。
ー ラーメンのメインである麺の供給がストップするなんて、一大事ではないですか。
そうなんです。あっさりスープに合い、コシのある麺を作るために試作を繰り返しましたが、なかなか思うような麺が完成せず、店と家の往復ばかりの日々で気持ちがどんどん沈んでいく自分がいました。気分をリフレッシュしようと1週間ほど、両親の故郷である台湾に遊びに行き、日本のラーメン店を70軒ほど食べ回りました。しかし、「日本の味のラーメンだ!」と思ったのはわずか3軒のみ。「日本の本物のラーメンを台湾に広めたい」と想い、ここから台湾出店の構想がスタートしました。
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