ー 濃厚魚介エキスをたっぷり抽出した澄んだスープに、炭火香るチャーシューをトッピングした塩ラーメンが人気の「麺屋政宗」。丹野社長がラーメン業界に参入したきっかけとは?
新卒で就職した会社を退職後、26歳くらいまでバックパッカーとして海外を巡っていました。日本に帰国して生活費のために焼肉店でアルバイトを始めましたが、雇われることが自分には合っていないと思い、将来は独立しようと考えていました。しかし、2003年に「牛海綿状脳症(※)」が流行したため焼肉店の出店を断念。紆余曲折あり、ラーメン店をオープンさせる運びとなりました。
(※)通称BSEと呼ばれる、牛の脳内に空洞ができ、スポンジ(海綿)状になる感染症の一種
ー 「紆余曲折」というのは?
焼肉店オーナーという選択肢を断念しましたが、独立することはあきらめていませんでした。飲食店なら焼肉店の経験を生かせるため独立しやすいと思いましたが、どの業態にするべきなのか悩みました。そんな時、ふと立ち寄った書店で、ラーメンの作り方を紹介している本に目が留まりました。すぐに購入して、友人のお店のキッチンを借りてラーメンを試作。作るのは初めてだったので試行錯誤の連続でしたが、なんとかお客様に提供できると思えるクオリティのラーメンが完成。物件も見つかったため、2004年2月に宮城県名取市に「らーめんなると家」をオープンしました。
ー 初めてのラーメン店のオープン。いかがでしたか?
3年は鳴かず飛ばずのまま、ずっと1人で「無給・無休」という厳しい状態での営業が続きました。しかし時間は十分に取れるということですから、ラーメンの改良を重ねることに。3年ほどたつと、徐々にお客様が増えるという、うれしい結果につながりました。だんだんと売上がアップし、スタッフを採用できる余裕も。2010年6月には、2店舗目となる「麺屋政宗」を仙台駅前にオープンすることができました。
ー 順調に店舗展開を拡大されたのですね。
はい。しかし、全てが順風満帆とはいかないですよね。自分の力では、どうにもならないことが起きました。それが2011年3月11日に発生した東日本大震災です。「麺屋政宗」が開店してからわずか9ヶ月というタイミング。被災者同士が助け合っている状況で「麺屋政宗」としても地元に何か貢献をと、炊き出しを中心としたボランティア活動を行いました。その活動がきっかけとなったご縁もありました。
ー 震災がきっかけのご縁とは?
仙台同様大きな被害を受けた南三陸町(宮城県本吉郡)から、「震災復興支援として南三陸町で出店しないか」というお話をいただいたのです。期間限定で「南三陸エムズ食堂」を出店いたしました。この店がメディアで取り上げられて注目を集めたことにより、関東で開催される「ラーメンショー」などのイベントに「復興枠」という形で呼んでいただけるようになりました。実は、ロシアへの出店のお話をいただいたのも、「南三陸エムズ食堂」がきっかけです。
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