タイの市中銀行で、今最も勢いのある銀行は?
そんな問いかけを受けた場合には、この銀行名を挙げなければならないのかもしれない。
そう、鮮やかな黄色がイメージカラーでお馴染みの老舗銀行「アユタヤ銀行」。
2013年に日本のメガバンク三菱東京UFJ銀行が買収し傘下に収められたが、かつてタイ金融市場で勢力を誇ったバンコック銀行とカシコン銀行(当時、タイ農民銀行)、京華銀行(BMB)、ユニオン・バンクと並ぶ5大銀行グループの一つだった。
一体どんな歴史を持つのか。
アユタヤ銀行の現在の総資産は1兆8885億バーツ。
バンコック銀行やカシコン銀行などに続く第5位にあるが、このところ急激な勢いで勢力を拡大している。
2017年上半期の純利益前年比伸び率は上位5行中トップの10.5%と圧倒的だ。
純利益で4位の国営クルンタイの後ろ姿を射程にとらえている。
同行はタイ中部から東北部にかけて精米・製材事業で財をなした華僑、王慕能(ルワン・ブアスワン)、洪天涛らのメンバーが終戦後間もなく結成した「大城(アユタヤー)グループ」が始祖。
ルワンらの詳しい出自などは明らかでないが、中華民国45年(西暦1956年)6月1日の中華系新聞「大漢公報」にバンコクでの活躍を伝えるルワンの記述がある。
当時、タイは第2次ピブーンソンクラーム政権下。
愛国的政策を掲げるピブーン首相は主要な産業を次々と国有化するなどタイ同化策を強力に推進、華僑資本の取り込みを図った。
だが、一部の華僑財閥は有力軍閥と関係を強め勢力の温存を画策。
ルアンもそうした一人だった。
当時の最高権力者の一人ピン・チュンハワン国軍最高司令官に近づき、製紙、製糖など主要な国営企業を束ねる持株会社「国家経済開発公社」の株主となるなど着々と地固めをしていった。
ところが60年代になると、銀行株を買い占めた華僑資本「泰航運有限公司」の総帥、李木川(チュアン・ラタナラック)に地位を奪われるようになり失脚。
以後、「アユタヤ銀行グループ」=「ラタナラック財閥」という構図となった。
現在、アユタヤ銀行は、ルワンらが興した45年1月を銀行の創業日とし、一方で「ラタナラック家」を創業家と位置づけているが、この点、史実としては正確さに欠けている。
ラタナラック家が経営権を握ったアユタヤ銀行は、自前の資金力を背景に貸付を増やすとともに預金も獲得、急速に勢力を伸ばしていった。
この間、50年に損害保険業、61年に生命保険業に相次いで進出。
70年代初頭には自身よりも創業の古いサイアムシティ銀行を買収し、金融業と保険業を傘下に置く金融コングロマリットとしての地位を不動のものとしていった。
一方で、ラタナラック家は69年にサイアム・シティ・セメント社を設立。
王室系のシェアトップ、サイアム・セメント社に次ぐ国内第2位のセメント会社に育て上げたほか、製粉業、サービス業といった異業種にも順次触手を伸ばしていった。
また、80年代に入ると住宅投資ブームが到来。
住宅建設部門にも進出し、戸建て住宅やコンドミニアムの建設にも力を入れるようになった。
こうして、80年代初頭までにグループ傘下の企業群は金融から製造、不動産まで総計30社以上、総資産は90億バーツに膨れ上がった。
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