軍事クーデターから2年目を迎えた5月22日、タイ国内ではタンマサート大学などで小規模なデモ行進が行われるに止まり、大きな混乱はなかった。軍による〝治安維持〟が一定程度、機能していることを裏付けた格好だ。タイでは近年、政変や災害が起こるたびに進出企業の事業活動が中断、一時的に景気が低迷し、2~3年後に回復するというサイクルを繰り返している。このため、企業の中にはこうした事態を「年中行事」と勘違いするなどして、正しい理解を怠るケースも少なくない。本コーナー初回は「タイ軍政の行方」について。
3年目に突入した軍政は現在、憲法起草委員会が取りまとめた新憲法案を国民投票に諮る準備を進めている。実施日は8月7日が予定されており、可決されれば暫定議会の同意を経て2017年中にも総選挙が実施され、民政復帰が進むと受け止められている。
否決された場合でも、停止された状態にある前憲法(2007年憲法)を全面改正し、国王の裁可を経て公布。半年から1年程度は遅れるものの、同じ手続を踏んで総選挙が行われる見通しだ。だが、これを根拠に軍政が一掃され、日本と同様の民主政治が到来すると考えるのは大きな間違いだ。
その根拠は新憲法案そのものにある。憲法案は公布から5年間を「移行期間」としたうえで、次の3点を骨子とする。①定数250人の上院を任命制とする。②前々憲法(1997年憲法)及び前憲法にあった「首相は下院議員でなければならない」の条項を削除。③憲法裁判所の権限強化――だ。
このうち①については、軍関連の6ポストに予め議席を配分。残る244議席についても軍が実質的に支配する「選出委員会」が議員を選ぶため、上院が実質的な軍の代弁機関となることは確実だ。97年憲法では全議席が、07年憲法でも約半数が選挙で選ばれていたことから見れば大きな後退となった。
②についても軍が関与できる余地を残した。首相が非議員でも構わないため、下院第1党が過半数を得にくい新しい選挙制度の下では軍の意向が反映しやすい仕組みとなっている。非議員である軍人が長期政権を担ったプレム政権(1980~88年)を彷彿とさせている。
③の憲法裁は民主化を阻害する扇動的な要因や勢力を取り除くことを目的に97年憲法から導入が始まった。ところが、タクシン派政党の台頭が続くとこれを封じ込めるための手段として使われ、07年憲法では政党に対する解党命令など議会や憲法を上回る力を持つまでに。今回の憲法案でも上院と並び、下院を監視する役目を鮮明としている。
軍政も議会制を採らない旧来の軍統制下の政治体制では、国際社会の理解は得られないと判断。最低でも選挙に依った仕組み作りだけは実現させる見通しだ。だが、その実は軍によるトップダウンに他ならず、議論というデュープロセス(適正手続)は完全に蔑ろにされている。
新憲法案が発表された同じ日に、全権を握る国家平和秩序評議会(NCPO)が発した「革命団布告第13号(仏歴2559年)」がそれを如実に物語っている。布告では、軍が「国の安寧秩序に危険であると判断した者」に対して裁判所の令状なく拘束、押収等ができるとした。国民投票を「妨害」した者に対する処罰には別に国民投票法があり、新憲法成立後も軍が関与できる余地を残すためのものと解されている。
景気が好転し市場取引が活発であるうちは、さしたる弊害も目に映らないため気付きにくいが、リスクは常に水面下で増殖を繰り返す。事態が差し迫ってからでは遅すぎる。1970年代にタイで起こった日本製品のボイコット運動が今ひとたび起こらないとも完全には言い切れない。軍の関与が「5年」で終わる保障はどこにもない。
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