総合格闘技(MMA)は、じつは比較的豊かな層のスポーツである。
佐山聡曰く、MMAは「打・投・極が滑らかに回転する」という競技、その動きはどうしても複雑になる。
だから選手はジムに通って、上級者から技を教わる。
それをしなければ、いくら肉体を鍛えても試合で勝利することは難しい。
では、東南アジア諸国において「ジムに通える選手」とはどういう人物か?
平たく言えば、アッパーミドルクラス以上の経済階級に属する人々だ。
そうでなければ、1ヶ月40〜50米ドルの会員費をジムに収めることはできない。
そういう意味で、ASEANの総合格闘技事情は図らずも現地の経済事情を映し出しているのだ。
インドネシアのショッピングモールは、その大半が中央吹き抜け構造である。
その吹き抜けの1階フロア、もしくはモール敷地内の野外でグラップリングの大会が開催されることがある。
グラップリングとは、MMAから打撃だけを抜き取った格闘技である。
勝敗はサブミッション、すなわち関節技と絞め技でカタをつける。
「ギ」と「ノーギ」の区別があり、ギとは日本語から転用された「着」、すなわち柔術着である。
ノーギの場合は、選手はTシャツと短パン姿で試合をする。
グラップリングは競技人口が少ないとは言え、国際的なスポーツである。
大会は世界中で行われている。
プロレスラーのルー・テーズは生前、マットの上には3種類の選手がいると言った。
「ジャーニーマン」と「シューター」、そして「フッカー」である。
選手たちの最頂点に立つのが、レスリングにも関節技にも精通しているフッカーである。
最も危険な存在で、他の選手は誰一人フッカーに逆らえない。
だが、2010年代のインドネシア大都市で行われているグラップリング大会の出場選手は、全員がフッカーだ。
日本では未だ知られていない強豪が、この国には控えている。
ただしハンガリー移民の息子であるテーズとインドネシアのグラップラーたちが違うのは、後者は経済的により恵まれているという点だ。
インドネシア人柔術家のニコ・ハンは、この国で初めての黒帯選手である。
そのハンが主宰する格闘技ネットワーク『Synergy』は、言ってみれば弟子への暖簾分けにより成長した団体だ。
ハンが帯を与えた選手をインストラクターにして、各地の拠点で活動する。
会費は各拠点によってまちまちだが、首都ジャカルタの場合は先述の通り1ヶ月50ドル前後が相場である。
最安値は30ドル程度といったところか。
今年のジャカルタ特別州の最低法定賃金は、250ドルをやや超えている程度である。
一般的な工場労働者もその水準で暮らしている。
しかもインドネシア・ルピアは決して盤石な通貨というわけではなく、生活物価も上がる一方だ。
おまけにブラジリアン柔術には、柔術着というものがある。
有名ブランドのジャケットを用意するなら、軽く150ドルはかかる。
そういう背景があるから、ブラジリアン柔術やそれにつながる総合格闘技に出場する選手は「ミドルクラスより豊かな人々」に限定される。
また、現代の格闘技において「ハングリー精神に満ちた貧困層出身者」は歯が立たなくなっている。
ジョコ・ウィドド大統領は「貧しい者ほど栄養のある食事ではなくタバコを選ぶ」と発言したが、新興国のアッパーミドルクラスの人々は毎日三食きちんとした食事を取り、堅実な躾と教育基盤に支えられている。
打投極すべてをこなさなければならないMMAでは、そうした要素が一層求められるのだ。
現地のグラップリング大会は、随所に惜しみないコストを投入していることがよく分かる。
赤を基調にしたマットに、華美な容姿の女性MC。
合間にDJが音楽を流し、街のあちこちに大きな広告が設置される。
毎年11月にジャカルタで開催される『Indonesian Submission Championship』は、とくに盛り上がる。
この大会は国内のトップファイターだけでなく、海外の実力者も登場する。
ちなみに筆者も過去3回参加したが、白星より黒星のほうが多い有様だ。
セミファイナルまでこぎつけたこともあったのだが、その時出てきたのがヨーロッパの柔術チャンピオンのデミトリウス・トシトスという巨人だった。
もちろん、筆者ごときではまったく話にならなかった。
そして、そんな我々の試合を見守るのはごく一般の買い物客である。
入場料などは取らない。
広告を見てショッピングモールに駆けつけた人もいれば、たまたまその日そこへ買い物に出かけていたという人もいる。
そこで繰り広げられる光景は、インドネシアという国の輝かしい部分とも言える。
恐ろしく巨大な商業施設が次々と建設され、そこでグラップリングという新興スポーツのイベントが開催される。
資金を出すのは財閥企業だ。
優勝者には立派なチャンピオンベルトと賞金が贈与され、それがさらに選手たちの意欲を掻き立てる。
この国のアッパーミドルクラスの活況が、そこにはある。
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