タイのプミポン・アドゥンヤデート国王(88歳、ラマ9世)が崩御してから1カ月半余りが過ぎようとしている。この間、タイ社会は深い悲しみに包まれ、年末にかけての各種イベントが自粛されたり、外食や映画などの娯楽産業で客足が遠のくなど経済活動にも変化が見られている。その最大の要因となっているのが、長男のワチラロンコン皇太子(64)の即位の時期が今なお不透明という事情だ。メディアの報道も二転三転し、確実となる情報は流れていない。
このところのタイの現状をまとめた。(取材は11月27日現在)
ワチラロンコン皇太子が王位を継ぐことが確実となったことは、すでに前稿及び前々稿で書いた。暫定軍事政権を預かるプラユット首相は国王崩御のテレビ演説の中で「(プミポン)国王は1972年12月にすでに(後継者を)指名している」と国民に向けて明言しており(なお、この時点で初めて皇太子の即位が確定した)、これが変わることはよほどの事情でも無い限りありえないだろう。すると、なぜ、この間、即位はなされないのか。
→【知らないと損するタイ進出情報】タイ国王崩御ニュースの読み方
皇太子はプミポン国王崩御後の立法議会の即位の要請に「今は国民とともに悲しみをともにしたい」と語り、直ちに即位することをやんわりと遠ざけた。その後、自身の子息であるティーパンコン王子(11)が留学するドイツに渡航。その後の詳しい動静は伝わっていない。皇太子が「ラマ10世」として即位することは確実であっても、それがいつになるかははっきりとしていなかった。
この間のメディアの報道も足並みが揃わなかった。一部有力紙は崩御後5日目のプラユット首相の発言を引用して「10月中にも即位へ」との見出しを掲げたが、その後の具体的動きは一切なかった。報道は即位の手順を定めた2007年憲法第23条の規定について首相が言及したためだが、改めて字面をたぐれば一般論に触れたに過ぎなかった。
次に浮上したのが「12月1日即位説」だった。「王室関係者」が情報源とされたが、そのためには皇太子が11月中の十分な時期に帰国する必要がある。ただ、この論も皇太子の動静を伝え切れてないことに加え、その日であるための根拠に乏しく、後追いする報道は見られない。余すところ数日である。
現在、有力視されているのが、11月8日に暫定政権から王室事務局に提出された新憲法案との絡みだ。8月の国民投票によって賛成多数とされた同案は憲法裁判所での審理、首相の署名を経て、国王の署名により発効する。王室事務局への提出が首相の署名期限(11月9日)ぎりぎりとなったのは、この間にプミポン国王が急逝したからで、新憲法案への署名を誰が行うかの問題が浮上したためだ。
暫定政権内にはプレム摂政代行による署名でも可とする意見もある一方で、プラユット首相はワチラロンコン皇太子が即位後に署名することを強固に支持している。王室事務局提出後の署名期限は90日。「2月上旬までの即位説」がこうした背景から持ち上がった。
こうした中、暫定議会は11月29日の緊急集会を決めた。この場でワチラロンコン皇太子への即位の要請が改めて行われる可能性が高い。その後の政治日程もおおむね固まって来ることだろう。ただ、問題は、「今は国民とともに悲しみをともにしたい」と発言していた皇太子の現在の心境だ。見誤れば、その後の国政に影響を与えることにもなりかねない。暫定軍事政権は今、この点に最も神経をすり減らしている。
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