この度、オンライン書籍を発売いたしました!
第1弾『海外戦略』に山本社長のインタビューが掲載されています。
新型コロナのパンデミックをどのように乗り超えたのか、ここでしか読めない内容も盛り込んでおりますので、ぜひ、ご一読ください!
ー ハマグリをベースに豚骨と乾物系または、真鯛と乾物系など、複数のスープを組み合わせた絶品ラーメンをいただける「金色不如帰(こんじきほととぎす)」。『ミシュランガイド東京』で1つ星を獲得し、そのおいしさは世界も認めています。山本社長が飲食業界に足を踏み入れたきっかけとは?
高校卒業後、専門学校に通いつつ建築現場でアルバイトをしていました。5年ほど建築の仕事を続け、30歳までには建築の世界で独立しようと考えていました。
しかし、あるラーメン店を訪れた際、その考えが変わりました。もともとラーメンの食べ歩きが好きだったので、よくラーメン店に足を運んでもいました。ある日、お客様がおいしそうにラーメンを食べ、笑顔で「ありがとう」と言いながら店を後にする姿を見て、「ラーメン店をやりたい!」という感情が湧いてきたのです。
ー 飲食業界はゼロからのスタートだったのですね。
そうですね、当時都内の有名老舗ラーメン店によく通っており、26歳の時に弟子入りしました。就業するまで7回も面接を受けることになりましたが、名店で修業を積みたい一心で門をたたき続けました。根性を確かめられていたのだと思います。現場は厳しく、元日以外は丸1日休んだ日はありませんでした。シフト上は休日でも店舗で数時間修業し、その後は自宅で自分の味を試行錯誤するという日々。「自分の味を作りたい、その味が客に受け入れられるか試してみたい」という想いが強かったのです。その後、2006年に独立しました。
ー 独立当初はいかがでしたか?
2年程は厳しい日々が続きました。1日に5食しか出ない日や、お客様に「これはラーメンではない!」と、厳しいご意見をいただいたこともありました。その中でも日々味の改良を欠かさず、週に2~3日は店で寝泊まりするのを、トータルで12年程続けました。努力が報われてきたと感じるようになったのは、独立から3年を過ぎた2009年頃からです。徐々に客足が増加し、3~5年目は1日平均50食程出るように。多くのお客様が食べに来てくれるようになりました。
ー お客様が来店してくれるようになっても、店で寝泊まりする生活を続けたのですね。
そうです。仕事に対してはストイックに打ち込んでしまう性分なので、苦には思っていませんでした。でも、身体は正直ですね。疲労とストレスは蓄積していたようで、じんましんが出たこともありました……。
そんな中、2015年『ミシュランガイド東京』にラーメン部門が新設され、ビブグルマンに選出されたのです。これをきっかけに、「ミシュランで星を取る!」という新たな目標ができました。
ー 目標をかなえるために、どのようなことをされたのでしょうか?
クオリティ向上のため、研究を重ねました。日々、試行錯誤を繰り返すうちに、「スープだけでは不十分。麺も改良する必要がある」という結論に。しかし、当時は店内に製麺機を設置するスペースがなかったため、製麺所に独自の配合で麺をオーダーするしかありませんでした。自家製麺にすれば配合を調整できるため、求めているラーメンにより近付けると考え、製麺機を設置できる店舗への移転を考え始めました。
ー 麺の開発のために店舗を移転されたのですね!
当時は、幡ヶ谷(東京都渋谷区)の路地裏でカウンターのみ8席の店だったのです。自家製麺を打つスペースがなかったので、2018年に新宿御苑前(東京都新宿区)に移転しました。研究に研究を重ね、数種類の小麦をブレンドした中細麺が完成。スープとの相性が抜群で、待望のミシュラン1つ星の獲得につながりました。『ミシュランガイド東京』の2019、2020と2年連続で星を獲得しています。
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