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【タイ・仕掛人インタビュー】しゃかりき432”オーナー清水友彦氏

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鮮やかな黄色地に「SHAKARIKI432”」の赤文字。軒先には、奇妙なまでの「標語」が描かれた無数の赤提灯。コテコテの大阪人、清水友彦社長(自称)が主宰する居酒屋「しゃかりき432”」グループは全店、年中無休のお祭り騒ぎだ。とにかく、面白(おもろ)いことが好き。楽しいことが好き。タイ人気質とも見事にはまって、タイと隣国ミャンマーで快進撃を続けている。だが、「成功したなんて、全然、思っていない」と清水小社長。背後には、立ち直れないまでの失敗の連続と、苦悩、失意、リベンジの歴史があった。「タイ・仕掛け人インタビュー」の今回は、タイとミャンマーで日本式居酒屋チェーン「しゃかりき432”」を展開するオーナー清水小社長がお相手――。

Q:それにしても、大変な勢いですね。現在、何店舗ですか?
A:バンコク・アソークにあるPSタワーの半地下階に本店を出したのが、ちょうど4年前の2012年7月。その約1年後に日本街店、14年2月にタニヤ店を出店。それ以降はピッチを上げて、14年中に計4店、15年に6店舗。今年に入ってラーメン専門店にも進出し、現在3店舗。年内には、しゃかりき432”バンナー店もオープンさせますんで、全部で計19店。全部、直営ですわ。

Q:ミャンマーにも進出していますね。
A:直営でいくつも手掛けると、失業率が1%のタイで、とてもタイ人だけではスタッフの確保はできない。そこでミャンマー人を雇うようになった。日本人に似て勤勉で、それでいて、面白いことが大好き。いつしか、ミャンマーにも店を出したいなあと思うようになって、ヤンゴンに出店した。初めのころは、日本人マネージャーを常駐させていたけど、今はもうすっかりミャンマー人スタッフにお任せですわ。タイで仕事を覚えたスタッフにはミャンマー店への転勤も勧めています。

Q:どうして、タイに進出を?
A:それを聞かれると、辛い。しかも、話しが長くなる。でも、聞きたくなるのは当然やわね。誤解を恐れずに言うけど、実は俺、大阪から逃げて来たのよ。あっ、勘違いせんどいて。何か悪いことしたんとちゃうから。

トラックの運転手と居酒屋のアルバイトで貯めた金で独立したのが26歳の時、JR野田駅の近くに「しゃかりき432”」を出した。居酒屋経験あるって言っても、アルバイトの調理経験だけ。接客も経営も、実のところズブの素人。「何とかなるだろう」と思うしかなかった。今でこそ、「見切り発車」なんて笑って言っているけど、実は心の奥底で戦々恐々だったんだろうと思う。

約30席の野田本店を皮切りに、新福島、梅田、なんば、地獄谷、大開という具合に、店舗は最大6店まで拡大した。この時も周囲からは「成功事例」のように見られていたけど、正直のところ店を回すので精一杯やった。回りが見えなくなってね。そんな時のことだった。スタッフの一人が辞めると言い出してね、櫛の歯が抜けたように次々と去って行った。「どうして!」って感じ。

Q:苦労があったんですね。
A:いつの間にか、スタッフを管理するのが俺の専任の仕事になってしまっていた。「俺の言うことを聞け」って具合に。でも、それじゃあ、付いて来ない。「独立する」と言って辞めたスタッフが、すぐ近くの立地でしかも同業態で店を出されたこともあった。悪い時には重なるもんで、店が火事になったり、立ち退きに合ったり。すっかり意気消沈したのが、このころですわ。

そんな時に、タイに出会った。気分晴らしに友達と旅行に出かけた先がタイやった。みんな温かいし、笑顔が人懐っこい。もう、アドレナリンがどっと出たね。「ここだっ!」って感じ。すぐに大阪に戻って母ちゃん(妻)に相談した。「ダメかな」って心配も少しあったけど、ドンと背中押されてね。高校生の息子が一人いてねんけど、「行っておいで。こっちは任せてき!」と言ってくれた。

それからは早かった。6店舗のうち4店舗を売却して事業資金を捻出。市場調査や身支度を済ませてタイに渡ったのは2012年5月。もちろん、俺たった一人。右も左も分からない。

Q:そんな事情があったのですか。で、タイには知り合いは?
A:なーんにも、おまへん。2日後にはバイクを調達して、飲食店回り。「こんちはー!」って感じでね。最初は散々だったですよ。「なんだアレ?」「大阪人、大っ嫌い!」。なんてことも言われた。でもね、めげなかかった。それ以上に興奮していたんだと思う。「店、作ろう。ここでリベンジや!」ってね。

しばらくして事業のタイ人パートナーも見つかった。これがまたいい人で、つい熱くなって突っ走ってしまう俺を「清水、落ち着け。冷静になれ!」って、なだめてくれてね。何度も助けられましたわ。1号店がオープンしたのは、定住から2カ月後のことやった。

Q:異国の地で思わぬトラブルもあったのでは?
A:もう、日本では考えられないことばかりですわ。ダクトが故障して店内が煙で充満したり、電気が届かなくて開店ができなかったり。ライフラインというのは大切だなと、つくづく思いましたわ。そん中でも一番きつかったのは、政治混乱でアソーク本店の前が通行止めになったことやね。

通行止めは2カ月半にも及んだ。一時は外出禁止令も出されていたから、客足がぱったり止まって。売り上げが落ちると、良からぬこともつい考えちゃう。「バンコク・シャットダウン」なんて言っていたけど、「しゃかりき」のほうが先にノックダウンされそうでしたわ。どうにか、大阪の母ちゃんに頼み込んで資金注入で乗りきりましたよ。

Q:タイで事業をしてみて学んだことは?
A:組織作りですね。若いころは、マニュアル大嫌いのワンマン社長。自分が面白いと思うこと、良いと思うことが常に最優先。でも、それは裏を返せばスタッフへの「押し付け」と何ら変わりなかった。そのことが、ちっとも分からんかった。

一方で、ここはタイ。外国では、そんなことも通じない。スタッフが楽しく、生き生きと仕事ができる環境作りが何よりも大切だと考えた。社宅の手当や、味を均一化するためのセントラル・キッチン制の採用も、スタッフの負担を減らすのが目的の中心やった。日本人がいなくても、日本語を使わなくても店が回る環境整備が何よりも必要と考えたんですわ。

shimizu

Q:赤提灯にも書いてある「勝ちパターンを作る」というのは?
A:日本時代に師匠が一人いてねんけど、もともとはこの方が言っていた言葉なんですよ。「清水、勝ちパターンを作れよ」ってね。でも、日本にいたころは、なんのことだかさっぱり分からなかった。

2年ごろ前かな、その師匠がタイまで激励に来てくれたことがあった。「師匠、最近、ようやく分かってきたような気がしますねん」。そう言うと、師匠はアソーク本店の半地下街を一通り見渡してニヤリ。「この通りは間もなく、しゃかりきのモアイ像でいっぱいになるな」って。実際にそうなったし、嬉しかったなあ。

規模や人が大きくなれば、当然にブレも出て来る。それを頭から抑え込むようではダメ。オーナーといってもできることは、ほんのごくわずか。組織作りをしっかりして、スタッフと力を合わせること。これが俺の勝ちパターンなんだと、最近つくづく思ってますねん。

Q:タイで、ここまで来れたのはどうしてだと?
A:失意の底にいた自分と、同じように日本で悩み苦しんでいる人と、実のところなーんにも変わらないと思っています。あのまま大阪で店を続けていたら、おそらく先は見えていた。あれ以上は、どうしようもなかった。その意味では、チャンスを与えてくれたタイやタイの人々、出会った全ての人に感謝ですわ。

でも、周りの感謝だけで、ここまで来たかというと、それも違う。悩み苦しみながらも、俺にはまだ行動する力だけは残っていた。動くことだけはできた。それだけの違いです。だから、決して諦めないでほしい。踏み出してほしい。俺が言えることは、ただそれだけのことなんですよ。(了)

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