戦後もマーの事業は拡大の一途を遂げた。
8人いた子供たちの中には、父の事業を継ぐ者や新たに事業を興す者も。
精米事業は長男のスパチャイが引き継ぎ、マノーラホテルなどのホテル事業は次男のワンチャイが継いだ。
三男のチョクチャイはナコーンラーチャシーマー県(コーラート)に牧場を開設し、タイではほとんど見られなかった酪農業を大成させた。
「チョクチャイ牛乳」は一大ブランドとなった。
次女のニラモンは米マサチューセッツ工科大学で学位を得た後にタイに帰国。
東芝との資本提携に臨み、日本の電気産業のタイ進出に貢献した。
バンコク北郊バンガディ工業団地の建設にも尽力した。
ただ、一人悲しい末路をたどったのが四男のシリチャイだった。
彼は父が親族間の争いで命を落とした64年はまだ学生だったが、帰国してコメの輸出事業を継いだ。
73年には品目をメイズ、キャッサバなどにも拡大し、そのためのマー・ブンクロン社を設立した。
マーは父の名から、ブンクロンは母の名から採った。
これが、今も残るMBK(マー・ブンクロン)グループの前身である。
シリチャイはコメの輸出事業やサイロ事業の傍らで、冒頭に紹介した商業施設開発プロジェクトに傾斜していく。
しかし、これが後に裏目に出る。
当時の金額で総額30億バーツ以上に膨れ上がった事業は、株式市況の不況や穀物の輸出不振から資金繰りに目途が立たなくなったのだ。
銀行団の一時的な協調融資もあったが、最終的にシリチャイの独断専行を嫌った債権者団が解任を決議。
彼は会社を追われることとなった。
以後のMBKグループは、外部からの血液も入れながら同族経営からの脱皮を図っていく。
創業の基礎となった「マー・ブンクロン」ブランドの袋入りコメ販売事業を継続しながらも、事業の多角化を積極的に推進。
都心部のMBKセンターに加えて、バンコク東郊シーナカリンでは商業施設「パラダイスパーク」を開設。
都心のパトゥムワン・プリンセス・ホテルなどのホテル事業のほか、2011年にはタイでは珍しいラマ9世通りのコミュニティー・モール「ザ・ナイン(ナインセンター)」で成功を収めるなど、商業不動産・ホテル事業に軸足を伸ばし業績を拡大していった。
中でもコミュニティー・モールに対する評価は高く、同グループでは近く、バンコク北郊のパトゥムターニー県にも同様の施設を建設していく方針だ。
このほか、家電や家具などの輸入事業、食品関連事業、外食、住宅開発、電子商取引、保険仲介などの新規事業にも進出を続けている。
MBKグループは、一族経営からバトンを受け取った現経営陣が集団指導体制で中興期を築こうとしている。
(写真はグループ内の資料から)
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