この度、オンライン書籍を発売いたしました!
第1弾『海外戦略』に前島社長のインタビューが掲載されています。
新型コロナのパンデミックをどのように乗り超えたのか、ここでしか読めない内容も盛り込んでおりますので、ぜひ、ご一読ください!
ー 煮干醤油ラーメンを提供する「せたが屋」をはじめ、塩ラーメン専門店「ひるがお」、煮干しにとことんこだわった「中華そば ふくもり」など6ブランドを展開している株式会社せたが屋。2020年7月には日比谷グルメゾン(東京都千代田区)の「RAMEN AVENUE」をプロデュースしたことでも話題を呼んでいます。そんな前島社長が料理に目覚めたきっかけとは?
父親が割烹料理店を経営し、母親が店の手伝いをしていたので、幼少期より飲食店は身近なものでした。両親ともに忙しかったため自宅に1人でいることが多く、学校から帰宅すると、作り置きのカレーかインスタントラーメンを食す日々。さすがに毎日同じインスタントラーメンでは飽きてしまうので、次第に野菜を入れたり、麺を牛乳でゆでたりと、独自のアレンジを加えるようになっていきました。思い返すと、これが料理に関わるきっかけになったのだと思います。
ー 幼少期の経験から料理の楽しさを体感していたのですね。そのまま飲食の道に進まれたのでしょうか?
特にやりたいこともなく、ふらふらしている時、友人の紹介で洋食レストランに就職しました。その後もさまざまな職種を経験し、父の経営する割烹料理店を手伝おうと実家に戻ったこともありましたが、長くは続かず……。唯一長く続いたのは「ペンキ屋」でした。
ー 何がきっかけでラーメンに興味を持たれたのですか?
ペンキ屋の仲間と、仕事後飲み歩いていた際に見つけたラーメンの繁盛店がきっかけで、再び飲食に興味を持つようになりました。当時、中華料理店のメニューの1つだと思っていたラーメンが、専門店として人気を博していることに驚きました。新たな発見でした。そこからラーメンの食べ歩きが趣味になり、気付けば「ラーメン店を経営したい」という目標を持っていました。10年ほどペンキ屋を経営し、ラーメン店開業のための資金を集めていました。
ー ラーメン店で修業はされたのですか?
いえ、仕事終わりに飲みに行っては締めにラーメンを食べ、お手洗いのついでに厨房をのぞき見したり、横目でゴミを見たりして知識を盗みました(笑)。盗み見たものを頼りに自宅で試作を続けるように。ある日、ペンキ屋の顧客から「友人が、環状七号線(東京都世田谷区)沿いの物件で『焼鳥屋を出店したい』と言っているため貸す予定だ」という話を聞きました。その物件を頼みこんで貸してもらい、2000年4月にラーメン激戦区の環七通り沿いにラーメン店「よさこい」をオープンさせました。
ー 満を持してのオープン。評判はいかがでしたか?
2ヶ月で閉店しました。おいしくなかったのです。お客様からの評判に加え、友人から「こんなにまずいなら2度と来ない」と言われ、その日に店を閉める決断をしました。
自宅で研究していた頃は納得のいく味を出せていたのですが、業務用の寸胴鍋でスープを作るとぶれてしまっていたのです。
ー 問題を抱えているため、わずか2ヶ月だけど閉店というのは英断だと思います。
閉店はしましたが、諦めるつもりはなかったため、ラーメンの味を改良すべく物件を借り続けて研究を重ねました。ひたすら食べ歩き、本を読み漁り、実践の日々です。そんな生活を数ヶ月続けていたら資金が底をついてきたため、ペンキ屋の仕事を続けながら味の改良を重ねていました。4ヶ月後、ついに味がぶれていない納得のいく1杯が完成。
2000年10月、地元の人に愛されるように所在地の世田谷区から店舗名を取り、自身の手で内装のリニューアルを手掛け、ラーメン店「せたが屋」として再スタートを切りました。
ー 自ら内装を手掛けるなんて、経験を生かされていますね。
心機一転でのスタートですから、以前はやっていなかった、ビラ配りなどの営業活動にも力を入れました。お客様からの認知度が向上していき、口コミが広がっていきました。1年後の2001年10月には同店舗で「ひるがお」というラーメンブランドを開業し、昼は塩ラーメン専門店「ひるがお」、夜は煮干し醤油ラーメンを提供する「せたが屋」という二毛作でお客様に楽しんでいただけるようにしました。それが評判となり、メディアにも注目されるように。
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