ー 信州白みそと北海道紅一点赤味噌、12種類の食材をブレンドしたこだわりのスパイシーなみそダレを使用した炙り味噌ラーメンが大人気の「炙り味噌ラーメン 麺匠 真武咲弥(しんぶさきや)」。奥村社長が飲食業界に参入したきっかけとは?
高校卒業後、建築事務所に就職したのですが、1年で退職し運送業に転職。トラック運転手として働くかたわら、22歳にクラブの経営を始め、毎年お酒業態の店をオープンさせていました。しかし、不況のあおりを受けて世間は空前の宅飲みブームに。酒業態では経営が苦しくなってしまう……と考えていた中、27歳の時に「日本でラーメンの人気がなくなることはない」という商売側面での魅力に気付きました。
ー 商売側面とは、どういうことでしょうか。もう少し詳しく教えていただけますか?
ラーメンは全国に激戦区と言われる町があるなど、日本人の食生活に根付いているだけではなく、海外に広まっている日本食の中でも有数の知名度を誇ります。そのような日本食って、すしや天ぷらなど数える程度しかないですよね。ラーメンの魅力に気付いてからは、札幌の有名店で5年修業し、地元留萌(るもい、北海道留萌市)で32歳の時に独立しました。
ー いよいよ独立ということですが、他業態とはいえ経営経験がありますので、順調な滑り出しだったのでしょうか?
いいえ、オープン当初に大問題を抱えてしまっていました。2004年、留萌に1店舗目を出店させたのですが、深刻な資金不足に陥っていました。というのも、起業までの間に出店したBarの従業員に、お金を持って逃げられてしまったのです。出店用の資金はゼロになってしまい、破産宣告も受けて借り入れができない状況。この状況を打開すべく、他のラーメン店の立ち上げサポートを行い、なんとか資金を調達してオープンできました。そのような経緯があったため、留萌店には今でも並々ならぬ想い入れがあります。
ー そんなことがあったのですね……。2号店は渋谷(東京都渋谷区)に出店されていますが、北海道から東京に進出された理由を教えてください。
上述した立ち上げサポートを行った店舗は歌舞伎町(東京都新宿区)にあり、札幌味噌ラーメンを提供していました。そちらの売上が月に1,500万円以上ありましたので、「私のラーメンも東京で勝てる」と確信し、再び東京で勝負することを決意しました。2010年4月22日に渋谷の道玄坂にオープンしたら、予想以上のお客様がご来店。結果として「炙り味噌ラーメン 麺匠 真武咲弥」の名を広げることへとつながり、海外進出へのご縁にも恵まれました。
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